約5日間のボランティア活動を終えて、ひとまず東京に戻りました。 現地の惨状は、テレビで見ている人にはもはや言うまでもないだろうけど、個人的には想像を遥かに超えてた。
「ここで、どこから何を始めろっていうんだ?」 というのが、はじめて町を見た時の印象。見渡す限り、瓦礫や土砂、車や船が折り重なり、360°その光景はどこまでも続いているように見えた。 今回向かったのは宮城県の石巻市。特に被害が大きかった場所のひとつ。そして、おそらく、関東地方より上、太平洋沿岸のほとんどの地域はこれと似たり寄ったりの風景が広がっているはずなんだ。
前日までは東京にいて、テレビではドラマやバラエティーが復活し、一日中地震や原発のニュースを放送することもなくなった。たまに見かける被災地の映像は「良い話」に限られ、いかにも復興への一歩を踏み出しているかのような「安心させる」ものばかりだから、ついついオレ自身もそんな気持ちになっていた。 でも、実際はそうじゃない。 いや、それは、テレビが切り取った「本当にごく一部の話」だ。
そして、それ以上に驚くのが、現地での「ボランティアの少なさ」。 阪神大震災の時に、あれほど駆けつけたボランティが、現地にはほとんどいない。 よくテレビやネットで言われてた「勝手に行くと、現地で迷惑になるから」という噂。 もちろん、阪神大震災の時に多くの人が勝手に駆けつけて、トラブルはあったんだろう、現地で迷惑をかけたこともあったんだと思う。それは事実。でも、それはテレビと一緒で、本当に「ごく一部」だ。少なくとも9割以上の心あるボランティアの人たちは被災した人たちの、そして復興への大きな助けになったはず。
今テレビやネットで流れている情報は「すべて」ではなくて「一側面」だ。だから、その情報だけを見て、すべてを判断しない方がいいって、今回はマジに痛感した。
現地では、復興への足がかりとなるための「人手」が深刻なほど不足している。 そりゃーもう、とんでもない数の人手が必要です。 物資はあっても、それを仕分ける人がいない。 物資はあって、それを届ける人がいない。 重機の入れない場所は、「人の手」でしかきれいにはできない。 津波に襲われた自分の家を前に呆然と立ち尽くすバアちゃんの家を国は片付けちゃくれない・・・ このまま放置していたら・・・・ 残念ながら、国はもちろん、市もほぼお手上げ状態。ノープラン。 もう、これをできるのは「民間」=「人の手」だけだ。
このあとも、日々のボランティア活動内容を、みんなに詳しく報告できればと思っています。 今日は取り急ぎ、感想だけを。だって、いろいろありすぎて、何から書いていいんだか・・・ でも、とにかく、「行ってよかった!」 そして、こんなオレでも、できることは・・・・・・・ある!
緊急速報 今、アニキのアユムを中心に、新たに「ボランティアの受け入れ場所」を立ち上げるために仲間達が奔走しています。近日中に、こちらも詳細を報告できれば。
しょうもない情報に惑わされず、国にも頼らず。 自分の目で見て、自分で決める。それが一番シンプル。 ただ困ってる人が目の前にいるから、助ける。これもまたシンプル。 頑張って助けたら「本当にありがとう!」って心から言ってもらえて、それがすごい嬉しくて、「もういっちょ、いってみよー!」って元気が湧いてくる。 誤解を恐れずに言えば、オレはボランティアを「楽しいから」やってる。 目の前にして感じる痛みや苦しみも全部含めて。 「自分が誰かの役に立ってる」という気持ちは、これほど人を元気にするんだって、驚く毎日だった。 そんで、作業が終わったときに、笑顔でひと言。 「東京がピンチになった時には、助けにきてね!」って。
一日一日、「もう一度訪れたい場所」と「もう一度逢いたい人」が少しずつ増える。 石巻の避難所で出会った内海のおっちゃんと「復興したらうまい酒をたらふく飲もう」って約束した。 おっちゃんは大酒飲みらしいから最後までは付き合えないだろうけど、それも今から楽しみだ。
さて、オレも目の前の仕事を気合いで終わらせて、また東北へ向かおう!
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